桜の開花が近づくと、テレビでは連日のように開花宣言など桜の開花情報を特集しますが、
なぜそれほど日本人はなぜ桜が好きなのでしょうか?理由についてまとめていきます。
日本人の桜好きはなぜ?理由は
奈良時代と平安時代
日本人はなぜ桜が好きなのでしょうか。
まず奈良時代の頃ですが、花の主流は桜ではなくて梅でした。
梅の方がメジャーだったようですね。
奈良時代、梅は中国原産で珍しく舶来植物として鑑賞されていました。
奈良時代は中国の文化を取り入れた時代だったため、中国風の文化が主流だったようです。
日本最古の歌集「万葉集」には、
「梅」の歌→100首以上
「桜」の歌→40首程度
とあるほどでした。ところが、平安時代になると和風文化が主流になってきます。
平安時代(905年)の古今和歌集では、
「梅」の歌→20首程度
「桜」の歌→70首以上
と変化していきます。
もともと地勢していたヤマザクラなどはありましたので、この辺りから桜がメインになってきたのではないかと言われています。
これは貴族の間の話でしたが、農民の間でも桜は親しまれてきており「田んぼの神様」として崇められていました。
春になると一気に桜が咲くので、それを見てそろそろ種を蒔かなくてはなどと農業上のカレンダーのような役割であった、
農事暦として桜は重宝されていたようなんです。
とはいえ、今のような桜を見て宴会するなどのイメージはまだありませんし、ソメイヨシノもまだありませんでした。
戦国時代
戦国時代、史上最大と言われる豊臣秀吉による「醍醐の花見」というものがありました。
慶長3年(1958年)
醍醐寺(京都・伏見区)に奈良や滋賀から集めた700本の桜を移植させ、近親の者や諸大名配下の女房女中衆のみ約1300人を招待し盛大な花見を催しました。
花見文化があったようですが、まだ上流階級のものでした。
この頃もまだソメイヨシノはなかったので、ヤマザクラなどを集めてきたのではないかといわれています。
江戸時代
庶民の行事にしたのは、江戸時代・八代将軍徳川吉宗です。
御殿山(東京・品川区)、飛鳥山(東京・北区)、隅田川沿いの向島などに江戸中に大量の桜を植樹しました。
特に隅田川は、庶民の娯楽という側面だけでありませんでした。
堤防に桜を植えてそこにたくさん人が来て踏み固めると堤防が丈夫になるということで、治水対策ではないかと言われていたんですね。
花見にたくさん人が来てもらえば、踏み固まって治水対策になるってこと。
このとき桜がとにかく必要になったため、江戸の染井村(豊島区駒込)の植木職人が品種改良をして誕生したのがソメイヨシノとされています。
平安時代あたりから桜が主流となっていき、江戸時代には花見が庶民の娯楽となっていったということなのでした。
ソメイヨシノの特徴
という事でソメイヨシノが戦後全国に広がりました。
ソメイヨシノの特徴としては、花が大きい、先に花だけ咲く、パッと咲いてすぐに散る
つまり派手で綺麗でイベント性が高いという事なんですね。
花見にピッタリ。
ちなみに日本中のソメイヨシノは全て、挿し木、接ぎ木で増やした分身・クローンです。
もともと1本のソメイヨシノから枝を1本取ってきて、接ぎ木や挿し木からおなじソメイヨシノができたという事なんですね。
日本中の桜は1本の桜からってすごい!
ということで「日本人の桜好き(花見)はなぜ?理由は」についてまとめていきました。